okina7のブログ

植民地の満州国の事、家族の事、日本国の事、政治、経済等など、そして今{コロナウィルス}との戦い、何故かオーバーラップ

コロナウィルスよりも恐ろしい、安倍政権”

コロナウィルスよりも恐ろしい、安倍政権”  


全世界がコロナに怯える中、どさくさに紛れ今・・
{検察庁法改正}と司法への介入を更に推し進めてきた。
世界が恐れるコロナウィルスなど、どこ吹く風!
「今がチャンスだ 数十兆と云う政治資金が動く時を
見逃すわけにはいかない!」
当然野党は猛反発“ 「安倍政権の多くの疑惑、森友問題・

加計問題・桜会問題etc.を二度と口出しできないようにするため、
検察のトップ 総長 検事長などを押さえ込み 傘下に入れようとする
目見だ!」私も当然・・
血が上り血圧が上がり 気持ちが悪くなり{コロナか?}と、

取りあえず寝てみたが¨ 起きてから熱を測ったが変だ?36.5°平熱だ?
 またテレビをつけた。


「抗議 470万人ツイート“」そして「日弁連が指摘」と、私は
 少し安心した。悪政安倍政権に反発する方が多数居たのです。
 ■立法(国会) ■行政(内閣府) ■司法(裁判署)共、
安倍政権(自民、公明等)が総て手中にすることになるらしい、

今、戦時中の日本に戻るのである。
 

正義はなくなり、悪が正義となるのである。


日弁連では、何時もの通り与党、自公などが強硬採決するので誰も
止めることが出来ないと云う。


多勢に無勢だから仕方がない。 良くも悪しくも安倍悪政に従うしか
ないのだが、一つだけ方法があると云う。


【野党は元に戻す法律を作ること】だと日弁連は云う。
 もし¨これが出来ないと永遠に日本は悪政の国となるとも云う


    戦時中にタイムスリップする独裁政治¨  翁セブンの怒りより    

                         

満州国とは?

今、満洲国へ渡った人たちは他界され、


私の年代がきっと最後の体験者となり


忘れられていくことでしょう。


満州事変の翌年・・
1932' 満州国を設立しました。関東軍(日本軍)は
日満議定書を結び1945年まで13年間存在しました。
日本の植民地だと解釈すると良いでしょう。
現中国ではそんな国は存在しなかったと云います。


その訳はこの間、日本中心で動いてきたからです。
現に私の家族と親戚など20人位がこの間、満洲国にて
生活を共にしました。
この間の日中戦争・三国同盟などは教科書にも記して
あり 知ることでしょう。


満州国の資料は今の政府と同じようにもみ消され、
正確なものは少なく、長年私も調べましたが、定か
ではありません。
nhkでは約150万人が渡ったと話されていますが、
調べてみると 200万とされる資料などもあります。
定かではありません。
今日は立体感を想像して、旧満州国の地図を
作ってみました。

緑の部分が満州国で、ソ連と中国との国境・現中国の東北地方になります。

緑の部分が満州国で、ソ連と中国との国境・現中国の東北地方になります。
赤の日本と比べてもいかに広大かが分かります。


   満州国の活動拠点は、奉天 で 最南端は錦洲です。


   私達兄弟の{ 生まれ故郷 }です。


   ソ連との国境付近から南の錦洲へと向って日本の


      農民達は山越え、必死に逃げましたが・・

                         

四面楚歌・満洲国には終戦記念日はなかった。

四面楚歌・満洲国には終戦記念日はなかった。
今、新型コロナウィルスの攻撃を受け失業に追い

込まれ生活困難者が多数出てきました。

政府はとりあえず10万円とか100~200万円とか

援助、補助金などが始まったようですが、これは

一時しのぎであり解決となりません。

仕事がなければお金もすぐに底をつき、電気・水道

ガス・電話料も払えず、止められてしまいます。

借家住まいの方は、部屋を追い出され、持ち家

でもローンがあれば容赦なく取り上げられます。

これらは私自身が戦前戦後とも経験しています。

今回はコロナウィルスがきっかけとなりましたが

20~30年前から地球温暖化で世界経済が崩壊する

と云われてきました。私の場合は第2次世界大戦

からの経験です。何れも生きる結論は同じです。

食がなければ生きていけません。

満州国の生き残った約100万人の私達は・・

1945’ 8/15 終戦記念日からが戦争の始まりだった

のです。100万の日本人が祖国に戻るには

終戦後7年も掛かったのです。

この間、職も失い食もなし¨粟とヒエで生きてきま

した。

日本に戻ってからも同じです。

当時の首相は「貧乏人は麦を食え」と云い反感を

買いましたが、今も同じです。甘えてはいけません。

最低保障は{粟・ヒエ・麦}があれば生きていけます。

お金ではなく最低限の食の確保を政府に訴えましょう!

あまり甘えると日本国の崩壊を進め,共倒れになります。

借金地獄に向かっている現政府、国民が我慢するしか

ないのです。昔も今も・・


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これから満洲で生き残った100万の体験を記していきます。
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  参考にして、生き残ってください。 翁7の人生より¨

                        

敵はソ連軍・八路軍・共産軍・国民党等と八方塞り・・


それは終戦記念日の直前 8月9日から始まった。


ドイツを制圧したソ連軍は突如 不可侵条約を破り


戦車と共に満州国を攻撃してきた。


太平洋戦争で苦戦の日本だったので関東軍は応援として


南下していて満州国は実質軍隊なしの 空っぽ状態で


残されたのは女、子供、老人ばかり、武器も持たない


無抵抗の弱き日本人ばかりだった。


可哀想だったのは、ソ連との国境に近い北部の農民


達だった。ソ連軍は無抵抗の日本人を虐殺、強奪、強姦


と容赦のない残虐”  か弱き女子や老人は家を追われ


南の山中へと逃れたが、着の身着のまま、食もなく


体力も衰え、疫病で倒れていった。


「もうこれまで¨ 敵に殺されるより 自決”しようと!」


多くの日本の農民たちは{集団自決}をした。


せめて我が子だけはと、敵となった中国人に託したのが


中国孤児、逆に殺された人たちも数知れず。私の友人は


運よくトロッコに乗り合わせ南へ南へと逃げ切って助かった


と云う。日本政府、自治体に騙され夢の満洲は地獄と


化したのです。


父は{露助の野郎!}母は{きっと前科者の犯罪者を


集めて送り込んできたのよ!}と怒りを露にしていた。


満洲では、終戦記念日はなく その日からが戦争の


始まりだったのです。    









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