戦争と・教育の遅れ
戦争と教育の遅れ
世界の大国を相手に戦争を巻き起こした日本は逃げ場もなく
惨殺され、集団自決、疫病などで多くの日本人が命を落とした。
そんな状況下で 子供達はどうしたか?
生き残った教育者は日本人学校を創り授業を実施したが、
世界大戦の最中、全ての子供達が平等に学業を受けることは
難しかった。 私の姉達は日本人学校に通うことができ、
女学校も通えたが、学年によっては小学校や中学校へも
行けず、学力の差が大きくでたのです。
授業についていけない子供達は仕方なく、学年を下に下げて
低学年と共に授業を受けました。
そんな事由で私の級友には、1学年~2学年の違いもあったのです。
あまり良い言葉でないが、{落第生}と云われていたのです。
二人の兄からは何時も私は{低脳児、低脳児}と云われ、馬鹿に
され、常に劣等感を抱き、短絡的な人間となってしまいました。
日本へ引揚げ後も、経済的家庭の事情により、約半数の子供達
は高校への進学も出来ず 中卒と云われ、就職しましたが、
月給も5,000円位と低く 「金の卵」 と云われ企業からは歓迎され
たのです。 参考までに¨高卒で7,000~10,000円の月給。
大卒で 10,000~20,000円位の月給の時代に私達は生きてきました。
学歴社会を生み出すきっかけとなった時代でもあります。
戦争と翁の嘆きより・・
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