okina7のブログ

植民地の満州国の事、家族の事、日本国の事、政治、経済等など、そして今{コロナウィルス}との戦い、何故かオーバーラップ

戦争と・教育の遅れ

戦争と教育の遅れ

世界の大国を相手に戦争を巻き起こした日本は逃げ場もなく

惨殺され、集団自決、疫病などで多くの日本人が命を落とした。

そんな状況下で 子供達はどうしたか?


生き残った教育者は日本人学校を創り授業を実施したが、

世界大戦の最中、全ての子供達が平等に学業を受けることは

難しかった。 私の姉達は日本人学校に通うことができ、

女学校も通えたが、学年によっては小学校や中学校へも

行けず、学力の差が大きくでたのです。

授業についていけない子供達は仕方なく、学年を下に下げて

低学年と共に授業を受けました。

そんな事由で私の級友には、1学年~2学年の違いもあったのです。

あまり良い言葉でないが、{落第生}と云われていたのです。

二人の兄からは何時も私は{低脳児、低脳児}と云われ、馬鹿に

され、常に劣等感を抱き、短絡的な人間となってしまいました。

日本へ引揚げ後も、経済的家庭の事情により、約半数の子供達

は高校への進学も出来ず 中卒と云われ、就職しましたが、

月給も5,000円位と低く 「金の卵」 と云われ企業からは歓迎され

たのです。 参考までに¨高卒で7,000~10,000円の月給。

大卒で 10,000~20,000円位の月給の時代に私達は生きてきました。

学歴社会を生み出すきっかけとなった時代でもあります。


             戦争と翁の嘆きより・・