四面楚歌・満洲国には終戦記念日はなかった。
四面楚歌・満洲国には終戦記念日はなかった。
今、新型コロナウィルスの攻撃を受け失業に追い
込まれ生活困難者が多数出てきました。
政府はとりあえず10万円とか100~200万円とか
援助、補助金などが始まったようですが、これは
一時しのぎであり解決となりません。
仕事がなければお金もすぐに底をつき、電気・水道
ガス・電話料も払えず、止められてしまいます。
借家住まいの方は、部屋を追い出され、持ち家
でもローンがあれば容赦なく取り上げられます。
これらは私自身が戦前戦後とも経験しています。
今回はコロナウィルスがきっかけとなりましたが
20~30年前から地球温暖化で世界経済が崩壊する
と云われてきました。私の場合は第2次世界大戦
からの経験です。何れも生きる結論は同じです。
食がなければ生きていけません。
満州国の生き残った約100万人の私達は・・
1945’ 8/15 終戦記念日からが戦争の始まりだった
のです。100万の日本人が祖国に戻るには
終戦後7年も掛かったのです。
この間、職も失い食もなし¨粟とヒエで生きてきま
した。
日本に戻ってからも同じです。
当時の首相は「貧乏人は麦を食え」と云い反感を
買いましたが、今も同じです。甘えてはいけません。
最低保障は{粟・ヒエ・麦}があれば生きていけます。
お金ではなく最低限の食の確保を政府に訴えましょう!
あまり甘えると日本国の崩壊を進め,共倒れになります。
借金地獄に向かっている現政府、国民が我慢するしか
ないのです。昔も今も・・
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これから満洲で生き残った100万の体験を記していきます。
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参考にして、生き残ってください。 翁7の人生より¨
敵はソ連軍・八路軍・共産軍・国民党等と八方塞り・・
それは終戦記念日の直前 8月9日から始まった。
ドイツを制圧したソ連軍は突如 不可侵条約を破り
戦車と共に満州国を攻撃してきた。
太平洋戦争で苦戦の日本だったので関東軍は応援として
南下していて満州国は実質軍隊なしの 空っぽ状態で
残されたのは女、子供、老人ばかり、武器も持たない
無抵抗の弱き日本人ばかりだった。
可哀想だったのは、ソ連との国境に近い北部の農民
達だった。ソ連軍は無抵抗の日本人を虐殺、強奪、強姦
と容赦のない残虐” か弱き女子や老人は家を追われ
南の山中へと逃れたが、着の身着のまま、食もなく
体力も衰え、疫病で倒れていった。
「もうこれまで¨ 敵に殺されるより 自決”しようと!」
多くの日本の農民たちは{集団自決}をした。
せめて我が子だけはと、敵となった中国人に託したのが
中国孤児、逆に殺された人たちも数知れず。私の友人は
運よくトロッコに乗り合わせ南へ南へと逃げ切って助かった
と云う。日本政府、自治体に騙され夢の満洲は地獄と
化したのです。
父は{露助の野郎!}母は{きっと前科者の犯罪者を
集めて送り込んできたのよ!}と怒りを露にしていた。
満洲では、終戦記念日はなく その日からが戦争の
始まりだったのです。
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