okina7のブログ

植民地の満州国の事、家族の事、日本国の事、政治、経済等など、そして今{コロナウィルス}との戦い、何故かオーバーラップ

戦地に残された私達日本人

日本では広島、長崎への原爆・東京大空襲など都市への破壊!


1945' 8/15 日本国は降参降伏し、終戦記念日を迎えたが¨


満洲や樺太ではこの日からが残酷な戦争の始まりだった。


一度 戦争が始まれば¨ 約束も条約も無意味だったのです。


日本軍は指導者の幹部から逃げ、敵地に残された日本人は


 良心ある 農民や、私達一般人ばかり¨ 


その数、100~200万人ですが・・定かではありません。


臭いものには蓋をせよ、これが日本国政府なのです。


 今も昔も・・


その証拠に引揚げ船は s 22年から船を送ってはくれましたが¨


やはり、祖国に帰る順は偉い順番でした。


運よく 私の家族は・・父が日本人のまとめ役などで奉仕を


していたので、否でも早い時期に祖国に帰還できましたが、


100万人からの引揚げには時間も掛かり約5年間の月日が


 掛かりました。     続く ・・


  次回・・ 空白の時間で生き残った私達の教育は・・

お金が欲しい!

敵に金目のものは全て取られ、食に飢えた私達は


お金が欲しくて、{煙草作りと販売を始めた}


まず、煙草をつくる木箱を用意して、煙草の葉を


巻く紙を準備するが、それが何と辞書を切り取った


紙だ 10cm位に切り 端の方を糊付けして、その中に


煙草の葉を入れ手車をゆっくり廻し、1本1本丁寧に


巻いていくのだが、父の器用さには感心させられた。


数十本完成すると、いよいよ家族総出で 近くの公園


に出かけ販売開始!


 何とか売れお金を手にするものの


ああ”情けなや !売上金を盗まれたのだ。


    戦争とは哀しいもの ・・ 翁7

満州国は天国から地獄へと

満州国は天国から地獄へと ・・
会社員では給料を3倍払うからと政府自治体からの勧めだったので


裕福な暮らしもできたが、北部に送られた農業従事者の多くは


荒れた土地を開拓させられて、辛い思いをさせられた。


また、既存の農家を安く強引に買い上げ、それを引き継いだ農業者


は良い思いをしたが、敗戦後には元の地主に恨まれていたので


殺されたり大変な思いをしたのです。


日本人住宅街には総て鉄条網を張られ、逃げられない。もっとも


逃げても逃げ場はなかった。 銀行も差し押さえられ、下ろせない。


多くの日本人は無一文となり、食に飢え地獄へと落とされた。


主食は、粟や稗(日本最古の雑穀)野菜は¨ 敵となった中国人


(満人さんと云われていた)が夕方暗くなった頃、こっそりと¨


リヤカーで運んでくれたのである。


父の部下で優しく面倒をみてきたので、敵と変わった今、


恩返しであった。 しかし¨敵を苛めてきた日本人は殺された。


          {汝の敵を愛せよ} ・・ 翁セブン